昭和40年06月07日 夜の御理解



 お道の新聞をさっきちょっと見せて頂いておりましたら、日本大学の講師をしておられます、奥山幸一という先生がメキシコにいかれた時の話を書いてござります。何か有名なカトリック教の教会があるんだそうですね。とにかくあの千畳敷ぐらいな、ずっと石畳があっておる。その前でその祈りが捧げられる。ね。私も何かで聞いた事がありますが実にその奇跡が現れるというので、生々しいその宗教信心の道場らしいですね。
 それでその、もう千坪あまりのところの石畳に、皆がひざまづいて、その真剣に祈っておる姿を見てから、その襟を正しめられるようなものがあったと。そして膝でこの教会堂まで入っていかれ、300メートルぐらいのところですね、それがもう動けんような病人をですね、やはりこうやって、あの手をもってやったり、支えてやったり、その助かるち言うわけですねそれで。
 もう様々なその難儀な人たちがその、それでもこの膝で這いながら、もうしきたりでしょう。会堂に入って長々とミサが行われた。その情景を見てから、本当に今の金光教がこれで良いだろうかと。私はそういうまあ教学の面でも、学問の面でも随分勉強をなさっておられる方達が、そういう風にお道の信心の上に、最近感じていかれておる事があり難い。と思うて私は読ませて頂いたのですけれども。最後に書いてござります。
 いくら話を聞いて助かるというてもですね、教組は「神前に向こうてから、例え槍先で付かれても、後ろへ振り向く事はならんぞ」と教えられましたと。私共の祈りも、生死を超越した真剣そのものの祈りでなければなりませんと。私はこの一文をそうするに当り、高騰禅に類した言葉の綾だけでは人は救われないと言う事を、ここに深くまい進したいと存じます。と言う、ね、
 どんなに話が上手であってもですね、助からないと。言葉のあやだけでは。話を聞いて助かるというてもやはり、白真剣命がけの祈りというものが必要だと言う事ですね。それはその、このキリスト教ですかね、もうそのメキシコで見て帰られてからの、その祈りがですそういうものが果たして、金光教の現在の信心の中に、その段々薄くなっていきよりはしないかというてまあ、危惧の念をかいておられるわけなんですね。
 本当にあの、思いますですね。今日もあの、久留米の、櫛原の総代さんが親教会の、まあ紹介でですね、あちらの久留米の荒木とかいう市会議員の方と、それから、あちらの電気のなさる方が、あの、椛目でご建築があるそうだから、その、電気を受け合わせて、の事を受け合わせてくれとまあ、見えられたんですね。私ここで、お茶でも上げさせて頂きながらまあ色々ここへ来てから改めて、びっくりしてなさるとですたいね。
 あのあれをみてから。「ほうこげな見事なものが建つですか」と。それから丁度あそこへ、図面を出しておりましたから、その図面なんかもみてから尚更びっくり。ご神前にお供えをしておりますのを見てもびっくりしておられますとです。もうやっぱりけれどもあの、それでこれは大変でありなさいましょう、ちいうてから言われるから私はたまに、いっちょん分かりませんとですよち言う。
 皆がああやってやっていきよりますけんねち言うてたら、まるきり、教組様のごたるですねち。(笑)言うてから話されますもん。ほんなごつ一生懸命信心も何にも出来ませんとにああた、こうしておかげだけは頂いてから、ほんに親先生のおかげですたいち。「そればってんですね、やっぱ、修行相当な修行をしてなさいましょね」というて、私の修行を聞きたいごたる風でございましたけれども。
 修行も何にもしませんで、こげな風ですばってんが、あなたやっぱ人が助かりますもんじゃけんねというてから事でした。それからその何かこげん、とてもあの敷地が6反もあると聞いてからびっくりしてしもうてから。「これでもあなた始めは2反でしたつですよ」ち。親先生が見て下さったつは、2反でしたけれども、あなたそのために随分手を尽したから、久保山先生は東京までも行かれました。
 出来るにしろ出けんにしろ、上の方の三反になりました。三反まで手付まで打っておりましたけれども、今度また下のほうへ移る事にならせて頂いてですね、もうそしたらあーた、両方の道の方達が色々文句を言う事なってから、買うてもらわなければ出けんごとなって、結局6反になったのですよと言うて、簡単に私がこげんして話したんです。ほれでもう、これはもう具体的に言いなら。
 それはもうどんこんこんこんされんごと、おかげは頂いてあるとですよというたらその、具体的なそこんにきば話してくれち言われますもんね、今日は(笑)。具体的に話すというて、例えば簡単にそれをいいますけれどもですね、例えば土地のことだけだってそうですよ。もう、三反のところに手付まで打たせて頂いてです。いよいよここと思うておりましたけれども、私とうとう、あそこで見にも行きませんでしたもの。
 「ほおうあなた、見にもいきなされんで買いなさったですか」といわっしゃる。(笑)たまがっとりなさいました。ね。ところが下の、いわばあの後家さんが、何とかかんとか文句を言い出しなはったからですたいね、その、もう、私共も困っておったところへ、その、中に立たれた方がです、下のほうで、その、深田のあちらが、地価も大変安いところ、ここは上だから地価も随分高い所。
 だから、物々で交換がされるような話をされますもんじゃから、ならそっち変えて下さいち言う訳で、まあ、あそこと変えたところが三反のところだったと。ところが、参道から、こうあわせて参道、三反だったところが、両脇が、その、色々今度は、文句が出たんですたい。それでその、あの、そちらを買わせて頂いたのですけれどもね、もうその辺が話すならですね。
 例えていうならばそれが、中に立ちなさった世話人という方がですね、実をいうたら、いっちょん誠意を持って、あの世話をしていなかったという事ですね。例えばあの下のほうで、ろくそない文句を言いなさったのでも。それをとやこう言うて、それを抑えようともされない。取るしことらんのという態度だった。ね。それから下のほうば買う時なんかは、もういよいよ、私は総代五、六人で行きなさいというてやらした。
 やった時なんかは、行って永瀬さんなんかがたまがっておられた事はですね、実際、中立ちさんは一つもあたっちゃなかったという事ですたい。そして、これだけほんなら、四十万でも置いた物をとるごと、言われよるところでも何でも、そうではなかったという事ですたい。いうならば、売っちゃおかげの無かごたるでしょうがで。けれども、そういう、不誠意な人をつこうてから。
 その、もし、これが誠実な人だったら、もうあの、線路から七里も八里も歩かなんごたる、便利の悪かとこに留まっておったかもしれませんよて。そういうような不誠意な人をつこうてです、だから、内の総代が行ってから、話をさせて頂いた。こちらの誠意を向こうに求め、こちらの熱意に向こうも打たれてです、そんなら、あの最後に、流れたの何んか、三十万からの値段をですね。
 お供えをすると思うてまけましょうというてから、まけられたんですからね。というような事で、あの六反が出来たとですよちいうて私が話した。はあおかげちはおかげとはそういうもんだという事。例えば簡単にいうとですたい、二反が三反になり、三反が六反になって、もう本当にそれがこう文句がでたから、次に移ったごたるけれども、そこの内容というものがもう本当に、わざわざ誠意のない人をつこうてですたいね、
 けれどもやっぱりそういうその、あの中立ちさんでなければいけなかったという事。あれを入手するまでにはですたい。まだこれを具体的には皆さんが知ってござる通りですたい、ね。もうそれは本当に不思議ないうならば、文句を言うならばですたいね、けれどもそれが返ってみんな椛目のためにゃ、おかげの基になっていわば六反という、あの敷地が購入されたんですよちいうてから、話させて頂いたのですけれどもね。
 こういう例えば、それにタッチしておる人たちが、そういう生き生きとした働きにです、ね、そういう、神の息吹に息吹に触れるような思いで、椛目で信心の稽古をしておるという事を私、もうほんのちょっとの間、その事を説明したのですけれども、ね。分ったから分らんかったか知らんけれども、ほうそうですか、まるきり教祖様の時代のごたるですねち言うてから、まあ話しして帰られたんですね。
 丁度前後してからでしたあの下関から仲林さん達が、親子連れでお礼に出て見えられましてから「もう本当におかげを頂きましてから、息子が命拾いさせてもらいました」ち言うてからですね私もドキッとしたんです。何故かというとこの前参って見えられた時にその息子さんのことは、特別祈れという御理解でしたもんね。もう息子さんという方は、これはもう教団でも有名な本部の青年会の理事をしておられる方ですもんね。
 そう言う様なその話なんですけれどもね、あの「もう本当にあの時親先生からああ言う事を頂いていなかったら、本当にうかつにしておった」ちいうわけです。それから本当にいろんな事があちゃならん、大難なら大難を小難にというて、まあ私共夫婦一生懸命祈らせて頂いておりましたら、先日どっか岡山の手前まで自動車で行かれたんですね。そして十五メートルもある所の崖に飛び込んだち。
 自動車が。ね。勿論自動車は滅茶苦茶にだったけれども、人間の息子はどうもしとらんじゃったという訳ですね。そうですねおかげは頂きますもんと。椛目ではそういうおかげを、もう本当に皆さんが頂いておるけん、あげんとはほんに皆写真やら持って来とるけん、いっちょこそっと写真に出してから説明ば書いていたならよかろう、ちいうてその話を一つ一つちょっと、久富先生でしたかね三人でから話した事でございました。
 いや最近のことだけでも、昨日も、今そこに参ってきております松岡さんが親子連れで出て来てから、お母さんどんが親子三人連れでまいって来ておられました。それから先日息子が病院に入院しておりますから、見舞いに行きよってからですね、そのあの崖から車が転んでおちとる。それがまちっと落ちるなら、それこそペシャンコになってしまう所で引っ掛かってですね、まあ一回転してそっから逆さまになった自動車から、まあやっとその救出してもらってですね、
 そして、這い出してきて、まあおかげで怪我もせずに、運転手しとったのが、ここの、七針か位縫うたぐらいな事でですね、もうその、娘達がはじめて金光様金光様と初めて唱えた、金光様の有り難さが分かったちいうてから、昨日お礼に出てきておりましたですもん。ね。そうしたら丁度そこへ来とります、松岡さんですたい、高宮に店をもっておりますが、子供連れてから丁度一緒に参ってきました。
 そしてからの話です。もう本当におかげを頂いてですね、このごろから自動車でこの頃あちらで、おかげを頂いたことも去る事ですけれども、先日はですね会社でそのゴミ捨てにいったっち。川に三メートルほどのところに簿しゃっと、拍子で落ちこんどるげな。そしてから先生ちょいとたまがりますもんね、ちゃんとこの乗ったままじゃったげなち。(笑)もう、おかげを頂いてから後はバカんごたる話ですけれどもですね。
 とても、ほんなら、誰かが、誰かがですね、何かこうして、支えるごたる働きというものがあっとった証拠だと私が言うんです。ね。先日あの福岡の高橋さんの弟さんですたい。田端さんどんが山並みハイウェエーに行ってから、もう下はダムが見えよるとですけんね。そのダムの中に転げ込むばかりだったんです。そこん所にスローが二本建っておる。その二本が両方こうピシャッとかかってとまっておるとです。
 もう、とても、何寸か、後ろか、前かだったっちゃ、もうそのままダムに転げ込まなければならんごたる、写真とってきておりましたですがね。それこそ、ほんに、血だらけで、身の毛のよだつごたる話ですたい。ね。単車で東さんが帰らせて頂きよってから、何かに乗り上げてから、自分の体が何十メートルちいうてから、まるでロケット弾のごと単車から抜けて飛んでいっとると。(笑)笑うごとあろう。
 だけんほんに椛目の話はっさい、やっぱ桜使うとるちいう話じゃんのち言うて、話した事でした。ね。例えば今日そこに松岡さんがきとるけん、まあそりば本当と思うけどもですね、それを事実なのだからねそのおかげが。今日はそんな話からだったですけれども、丁度ここもう、半年ぐらい前だったですかね、あの久冨先生ところの長男があの大阪通いしておりますたいね。ラックでもう本当に最新式の大型のですね、もう買ったばっかりの車でしたそうです。どがしことか言いよったのうもう何千万かするて。
 八トン車の上等の車ですたい。それはやっぱ運転手は交代でいくそうですもんね。それがほんのその息子が新ちゃんですか、ほんの金光様の近所だったけんでやっぱ金光様のおかげじゃったち気が付いたち。それがですね変わったばっかりだったそうです。変わって運転手が寝るところがあるぎなですもんね。代わりの運転手が。それがその変わって寝て、その寝たから自分ないっちょん覚えておらんですたい。
 崖の中に飛び込んでおりますもん。勿論、運転手は死にました。そしてその新ちゃんが何処からどげな風にして飛び出たか抜け出たか分からんけれども、何メートルの向こうの畑の中に自分はおったちいうですもん。眠ったままおかげを頂いております。夢のごたる話でしょうが。まあ、だからどげん考えたっちゃですたい、腑が良かったのだけでは椛目の場合は済まされんてどの話を聞いても。ね。
 だからそういう例えば、んなら生き生きした、例えば祈りというものがですたい、祈りの中にお互いがあるという事。これは例えば椛目のご造営だけにそれがあっておるのじゃない。そういう特別なおかげを受けた、その自動車の奇跡の的なおかげを受けた人達だけの上にあっておるのではない。いつも、かつもがそういう働きの中に私共があるという事。ね。ですから本当にそこんところに私どもがです、
 あの教組の御教えにも、ございますようにです、ね、「痛い痒いがなおったのが有り難いのじゃない、いつもまめなのが有り難いのぞ」と、もうこれは実感的に椛目の人たちは感じなければいけなと言う事です。今日も無事だったという事がですたい、もうどの位おかげを頂いておるかと、そういういわばですね、そういういわば強い祈りの中にです、お互いがおかげを頂いておると言う事を思うたら、もちっと実感的にです平穏無事であったことが有難い。いわば神恩報謝の生活が出来るだろうという事です。
 今も、繁雄さんが今朝から、朝の御祈念に毎朝参ってきますから、まあその御祈念中に、御祈念中に頂いておられたと。それが、土居の方に行くと梶原さんという方がありますもん。そこの横の道を一生懸命この、道修繕をしておられるところを頂かれたち。ね。私も、先ほどから、その事ば、しきりに考えよったところでしたから、それがどうでも、今晩、総代会があるなら、そのことをいっちょ話題にしてから、そういうような働きが椛目全体の上にあるような一つおかげを頂きなさい。
 例えばあのう、教組の神様は、休みの日なんかは、休まずにです、村の道普請をなさったというぐらいじゃないですかと。今あの音芝のところでは道造りがあっておりますもんね。中へこう、トラックが通っても大事ないようにですね。私昨日昨日じゃない、古賀先生が来たときじゃけん、三.四日になりますか。古賀先生連れてから、あそこ見に行った時です、年寄りのその原口さん達が雇われてなさいますもん。
 向かいの。そしてから、道に泥が上がっとるとばばズウっとこう、中さんこう、入れるだけの仕事でやっぱり、相当の給料で雇われてきておるという事ですたい。だからこれはどうじゃろうかの繁雄さん、あの村普請村の道普請ですら、あの徹底することが信心だから、ましてそのお道の信奉者がですたい、ね。自分方のお広前が建ちよるとじゃけん、もうあれは請け負うとじゃけんというて、請け負うたとに任せずにっさい、行ったけんで、幾ら引いてくれち言う事はいらんから、業者と色々相談してですたい。
 まあ例えばその人夫が二人でん三人でん行って、素人でん出来るごたる御用があるならばいっちょそういう、椛目の奉仕隊でも作ってですたい、ね、勤労の奉仕隊を作ってから、まあそういう時だけでも奉仕するごたる風に、総代さんがたが取り組んで見たらどうですかというて今晩話した事でした。もういうなら、おなごでん出来るごたる仕事が、やっぱあるとですよ。ね、
 だからそげんとにやっぱ何百円という、日給を出してから雇うておるに違いないですもんね。ですから先日から正義さんにいうたばってんが、人手が来たっちゃ邪魔にでんなるごたる風な言い方したけんでち言いよりなさるけれども、そこをやっぱりあの、そうでもあろうけれどもです。やはり必要な時には、椛目にほんなら何日には何人、人夫がいるけんでという風に言えばです、それで御用におうて立っていけれる。
 これがもうよその教会のあなた、あのご造営とでもいうなら、もう信者はもうこれこそ、例えば、甘木あたりの教会を出るときには、どれだけの人数が出たじゃ分らんですよ。奉仕が。もう何もかにも信者の手でやったんですからね。今頃は時代も違いますけれども、やはりその、道具いっちょ運ばせてもらうくらいな、あれがなからなければ、お広前が建てあがってからが、あんまりその、この、楽すぎて、ただ金だけは奉納させて頂いたと、いうだけではいけんとじゃなかろうかと話した事でした。ね。
 そういう中にですたい、例えばそういう生き生きとした、只今申しますような祈り、強い祈りとそういう大きな働きの中にある事を、分らせて頂いて平穏無事でです、おかげを頂いておることに、もっともっと強い有難さというものを、神恩報謝の念を湧かせて、そして、それが勤労奉仕という事になったら有難い事だろうと私は思うのです。今日は総代会はそういう事を焦点にですね。
 、総代さん方がほんなら、もうこれは椛目全体の上にですね、そう言う様な働き、いつもかつもというわけではない、また、邪魔になるような事は確かにあるから、邪魔になる時に出らんでも良かですもん。やっぱり私が先日見てきたように、年寄りでも出来るスコップで道にこぼれておる泥ば、中さん、入れるだけぐらいな御用とかがあると、私は思うのですよ。ですから、あのそういうような御用でもさせて頂いたらどうだろうかと私は思うたわけです。
   おかげ頂きますように。